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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)9403号 判決 1985年4月19日

原告

右訴訟代理人

成瀬壽一

被告

山本太郎Y1

被告

山本花子Y2

被告両名訴訟代理人

山本寅之助

芝康司

森本輝男

藤井勲

山本彼一郎

松村信夫

主文

一  被告Y2は、原告に対し、金九七六六万三二〇七円および内金八七六四万一〇〇六円に対する昭和五六年八月二五日から支払ずみまで年一割の割合による金員を支払え。

二  原告の被告Y2に対するその余の請求および被告Y1に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告Y1との間に生じた分は原告の、原告と被告Y2との間に生じた分は被告Y2の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告に対し、金一億円及びこれに対する昭和五五年六月一日から支払済みまで年一割の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張<以下、省略>

理由

第一X・A間の貸借について

<省略>

第二Y1の保証の成否について

一甲第四号証によれば、「金一億円(利息年一〇パーセント)を拙者共連帯借用正に受領致しました」等と本文を記載し、末尾の連帯債務者・連帯保証人欄にAの記名押印とともにY1の記名及び「山本」と刻した印章による印影の存在する昭和五四年八月五日付、X宛の「連帯借用証書」と題する書面(甲第四号証)が作成されていること、さらに、甲第五号証によれば、「連帯債務者A、Y1、債権額一億円、貸付年月日昭和五四年八月五日、利息年一〇パーセントとする契約につき公正証書を作成することを代理人○○○○に委任する。」旨の本文を記載し、末尾の委任者欄にAの記名押印とともにY1の記名及び前同様の印影の存在する「委任状」と題する書面(甲第五号証)が作成されていることがそれぞれ認められ、かつ、<証拠>によれば、右Y1名下の印影はいずれもY1の実印によつて顕出されたものであること、昭和五四年八月二四日発行のY1の印鑑登録証明書がそのころAを介して右「連帯借用証書」及び「委任状」とともにXに差し入られたことが認められるのであつて、右認定事実からすれば、右書面はいずれもY1の意思に基づいて作成され、したがつて、Y1は請求原因3(一)のとおりAの債務について保証したものであると推認すべきもののごとくである。

二しかしながら、<証拠>によれば、右「連帯借用証書」及び「委任状」のY1の記名及びその名下の押印は、いずれもY1の妻であるY2がしたもので、Y1みずからがしたものではないことが認められるのであつて、この認定を動かすに足りる証拠は存在しないのである。そうだとすると、右1に認定したような事実が存在するからといつて、そのことから直ちに前記のごとく推認することはできないといわなければならない。

三そこで、さらに、その他の証拠もしくは事情から、Y2による右記名押印がY1の意思に基づいてなされたものと認めることができるかどうかについて検討することとする。

Y2がY1の意思に基づいて前記「連帯借用証書」及び「委任状」にY1の記名押印をしたとの事実を直接に証すべき的確な証拠はなんら存在しないので、諸般の情況からみて右の事実を推認することができるかどうかを判断するよりほかはないというべきところ、<証拠>によれば、次のごとき事実が認められる。

1  AはY1、Y2の次男として昭和一三年一二月九日に出生した者であるところ、昭和三八年三月関西学院大学商学部を卒業したのちB株式会社に入社したが、同五一年六月同社を退社したうえ、土木建築用配管資材の販売を目的とするC株式会社を設立し、代表取締役として同社の経営にあたるようになつた。

2  C株式会社の経営はその後順調であり、一応業績もあがつていたが、Aは生来射倖心の強い性格の持主で、大学に在学中から競馬にこり始め、社会人となり会社経営者となつてからもそれから抜け出すことができないで競馬の賭金を調達するため高利の金融に手を出すようになり、さらにその返済資金を調達するため一層高利の金融に頼り、やがて莫大な借財を抱えるようになつた。

3  一方、Aの父Y1は、昭和四四年二月にD株式会社の代表取締役社長に就任し、同五三年六月までその地位にあつた者であり、その間多くの有力会社の役員も兼ね、関西財界における有力者であつたが、次男Aの右のごとき不行跡を見るに見兼ねるとともに山本家の恥が外部に露見するのを恐れて、その都度、自己の所有不動産等を売却処分したり、銀行から融資を受けたりしてAの負債を弁済してやり、Aの不始末の尻拭いをしてきた。その明細は次のとおりである。

(一) 昭和三六年から三八年までの間、吹田市山田下の自己所有地を売却して五〇〇万円を調達し、弁済。

(二) 昭和三九年六月から同四二年三月までの間、六回にわたり、三和銀行から合計一四七五万円を借り入れて弁済。三和銀行に対しては、その後所有土地を売却して返済。

(三) 昭和四五年ころ、株券・宝石等を売却して二三〇〇万円を調達し、さらに尼崎信用金庫から九〇〇万円を借り入れて弁済。

(四) 昭和四九年中に、三和銀行から五二〇〇万円、関西相互銀行から一〇〇〇万円を借り入れたほか、吹田市山田下の自己所有地を三名の者に合計四八二二万円で売却し、さらに株券・書画骨董類も売却して弁済。

(五) 昭和五一年一二月、長男山本一郎名義の土地建物を担保に三和銀行から一億三〇〇〇万円を借り入れて弁済。

4  さらに、前記「連帯借用証書」及び「委任状」が作成されたのとほぼ同じ時期にあたる昭和五四年八月二七日に、Aが徳陽相互銀行から金七〇〇〇万円を借り受けた際、これを担保するため、Y1所有の吹田市青山台三丁目一一九番の一三九の土地及びその地上建物に極度額を七〇〇〇万円とする根抵当権が設定され、その登記がなされたが、右借入金もすべてAの負債の返済に充てられた。なお、右不動産は、翌五五年八月八日訴外株式会社浪花組に代金一億一五〇〇万円で売却され、その売却代金で徳陽相互銀行からの借入金も返済された。

以上の事実であつて、この認定を動かすに足りる証拠はない。しかして、右認定のような事実関係だけからすれば、前記「連帯借用証書」及び「委任状」も、Y1が従前と同様にAの借財の後始末をしてやるために、Y2に指示してこれに自己の記名押印をなさしめたものであると推測しても、あながち不自然ということはできない。

四ところが、他方、<証拠>によれば、以下の事実が認められるのである。

1  Y1は、D株式会社の社長に在任中である昭和五〇年ころから次第に記憶力・理解力に衰えが見え始めるようになり、社長秘書が日程等について説明しても容易に理解することができなかつたり、すぐに忘れてしまつたりするような状況がみられるようになつた。

2  そのような状態は、昭和五二年ころからさらに一層ひどくなり、Y1がオーナーであるプロ野球E球団応援のため仙台球場へ赴いたときなども、試合が始まつたばかりの二回ころ、何の理由もないのに突然大阪へ帰りたいといい出してそのまま試合途中で帰阪してみたり、また、同年一〇月に東京で行なわれた日本シリーズの試合の際には、Eの対戦する相手チームがどこのチームであるのか分らないといつた状態であつた。

3  そのため、昭和五三年三月ころには、親しくしていた関西財界の有力者から社長を辞めるよう説得され、また、当時のD株式会社の会長からも、社長を退いて会長に就任してはどうかといわれ、その趣旨を記載したメモを渡されたことがあつたが、その意味内容を理解することができず、「これなんやろ」と秘書にそれを示して説明を求め、説明を聞いた直後に再び同様の質問を繰り返し、結局理解することができないままで終つてしまうという有様であつた。その結果、最終的には、身内である長男一郎が説得し、同五三年六月に社長を辞任し、会長の地位に納まることになつたが、会長就任後二、三か月ほどの間は会長になつたことが理解できず、自室に掲げられた「会長室」の標示を見て、「これはわしの部屋と違う。」などと繰り返し言つていた。

4  昭和五四年に、F株式会社の招聘でアメリカのフォード元大統領が来日し、その歓迎会が大阪で開かれた際、当時なお同会社の社長であつたY1が歓迎の辞を述べることになつたが、当日になつても、何故挨拶しなければならないのかなどといつてそれをいやがり、秘書の説得によりようやく原稿を朗読させてその場を切り抜けることができた。

5  Y1は老人痴呆・脳動脈硬化症等の治療のため、昭和五二年九月から大阪市阿倍野区内の○○医院に通院するようになり、同五四年一二月まで月に一、二回程度通院して治療を受けていたが、その後、昭和五五年八月に大阪府茨木市内の○○病院で診察を受けたところ、時間見当・人物見当・場所見当等の見当識障害がかなり強くみられ(いつ、どこに、誰といるかが分らない)、CTスキャーン検査の結果によつても、広汎な領域における大脳皮質萎縮像と脳軟化像が確認され、それらの所見から約五年前ころより慢性的に進行してきた「老人痴呆」と診断された。

以上のごとき事実であつて、<証拠>はいずれも右認定を左右するに足りるものではなく、他にこれを動かすに足りる証拠はない。しかして、これらの事実からすれば、前記「連帯借用証書」及び「委任状」が作成された昭和五四年八月前後に、果してY1が、AのXに対する本件債務につき十分に認識したうえ、これについて保証する意思でY2に前記記名押印を指示することができるだけの精神的・知的能力を具えていたかはきわめて疑わしいといわざるをえない。

さらに、<証拠>によれば、Y1は昔気質の性格から債務の保証をすることを頑固なまでに嫌つていたことが窮われ、従前のAの借財の後始末もすべて自己所有の動産・不動産を売却したり、自ら銀行から借金したりしてこれを弁済するという方法によつていたことは前認定のとおりであつて、しかも、本件Xに対する債務に限つて、保証という方法によつてその後始末をつけなければならないような事情は少しも見当らないのである。さらに、前記三4の極度額七〇〇〇万円の根抵当権の設定についても、これが真実Y1の意思に基づいてなされたものであるかどうか証拠上明らかではないのであつてこれら諸般の事情を総合して考えるならば、前記三の1ないし4に認定したような事実があるからといつて、Y1がAの借財の後始末をしてやるために、Y2に指示して本件「連帯借用証書」及び「委任状」に自己の記名押印をなさしめたものと推認することはできないといわざるをえないのである。

のみならず、<証拠>によれば次の事実を認めることができる。

1  Aが継続して多額の金員をXから借り受け、昭和五四年五月までその返済を続けてきたことは前認定のとおりであるところ、昭和五四年七月になつて、同月中に期限の到来する貸金債務の決済の目途がたたなくなり、返済のためXに交付していた約束手形を取立に回されればこれが不渡りとなることは必至の状勢となつた。

2  そこで、これまで、Aの債務の決済について心を痛め、側面から援助を続けてきたY2は、右状況の打開方についてAから相談を受けたことからAが手形の不渡りを出すという事態となることだけは何としても回避したいと考え、昭和五四年七月下旬ころAとともにX方を訪問し、右支払の猶予方を懇請した。

3  これに対し、Xは、Y1が保証するのであれば右懇請を容れてもよい旨回答し、Y2もこれに応じる様子を示すとともに、なお返済資金の調達につき努力する旨を約した。

4  その後、A及びY2は二度X方を訪ねるとともに、その間、返済資金の調達に奔走したが、結局うまくいかず、そのため、Xから「連帯借用証書」及び公正証書作成嘱託のための「委任状」の用紙を受け取つたうえ、三度目にX方を訪ねた際に、Y2からXに対し、すでにY2においてY1の氏名を筆記してその名下に押印した前記「連帯借用証書」(甲第四号証)及び「委任状」(甲第五号証)並びに印鑑登録証明書(甲第六号証)を交付した。

5  その直後ころから、Y2は、「私はだまされて主人の名前を書いてしまつた。監獄に入らなければならない。」と口走るなど異常な行動に出ることが多くなり、相談をもちかけられた弁護士からなだめられたようなこともあつた。

しかして、右認定のごとき事実をも加えて勘案するならば、Y2が一時の窮状をしのぐためにやむなくY1に無断で前記各書面にY1の記名及び押印をするにいたつたものであるかも知れないとの疑いを払拭することはできないのであつて、いずれにせよ右記名押印がY1の意思に基づくものと推認することはできず、甲第四、第五号証中のY1作成名義部分の成立の真正を認めることはできないものというよりほかはない。

そうすると、他にY1が請求原因3(一)の保証をしたことについて証拠のない本件においては、右事実の証明は十分でないというべく、結局、これを認定することはできないものといわねばならない。<以下、省略>

(藤原弘道 小原春夫 大須賀 滋)

別表(一)、(二)、(三)<省略>

計算書(一)〜(六)<省略>

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